「経済発展」するほど「貧困」が増えるのはなぜ? -2

「経済発展」とは

” ダグラス・ラミス著(平凡社)表紙”

 カリフォルニア大学バークレー校出身、現在沖縄在住の政治学者ダグラス・ラミス氏は、まさに21世紀を迎えようとしていた2000年に名著『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』を出版しました。(注2)

 そこでは「経済発展」について重要な考え方が述べられていきます。
 私たちは「経済発展」と言われれば生活が豊かになり、可能性も解放されて、どんどん幸福になれるかのようなイメージを持ちます。
 しかしラミス氏は、それは錯覚で、「経済発展」はただの一つのイデオロギー(思想)にすぎないのだと言います。そのイデオロギーは20世紀の一番深いところまで根を下ろしました。
 そして氏は、「経済発展」とは実は「地球上のすべての人間・自然を産業経済システムの中に取り入れること」であると述べられます。

 そのことを考えるために、絶好の切り口が「4つの貧困」です。
 その1つ目は「伝統的な貧困」
 これは自給自足の社会を指します。物を沢山は持たず、それで満足しています。持っているものと欲しいものの差があまりなくて、この程度の暮らしでいいと考えます。外からは貧乏と見えますが、内にいる人はそうは意識していません。

 2つ目は、世界銀行が呼ぶところの「絶対貧困」
 これは、食べ物、薬、服などが足らなくて健康な生活が出来ない状態です。栄養失調とか、子どもが飢えて死ぬとか、そういう貧困で、1つ目の「伝統的な貧困」、自給自足とは別の状態です。

 3つ目は、「金持ち/貧乏という社会的関係の中の貧困」
 その社会の中にいれば、金持ちの言うことを聴くしかない、金持ちのために働くしかない構造としての貧困ということです。金持ちに圧力をかけられても反抗できない、その「無力さ」がこの種の貧困の特徴です。

 4つ目は、オーストリア生まれの哲学者イヴァン・イリイチの言う「根源的独占」から生まれた貧困(注3)
 かつては存在もせず、人が欲しいとも思わなかったものを、この新しい製品を買わなければちゃんとして生活が出来ないというように、社会そのものを作り直す。その商品はいつの間にか「あればいいもの」から「ないと困るもの」に変わっていき、買えない人は貧乏ということになります。

 もうお分かりでしょう。
 実は、アメリカの都市でGMが行ったことに代表されるアメリカの車文化は、この4つ目の貧困をつくり出すことそのものだったのです。
 アメリカの車文化は自由市場で車文化になったのではなく、人為的に、しかもある種とても暴力的に作られた文化です。

 そして、この4つ目の「根源的独占」から生まれた貧困の特徴は、経済発展や技術発展によって再生産されることにあると、ラミス氏は述べています。
 自動車におけるモデル・チェンジは、新車に新しい便利な機能を搭載することによって、まだまだ快適に走れる現行車を古びたものに見せる「計画的陳腐化」でした。
 もちろんパソコン・スマホなどのIT製品もその例に当たるときもあるでしょう。
 ですから、この4つ目の貧困は、今も日々新たに生まれていることになりますね。

 さらにラミス氏は、20世紀の「経済発展」は、この4種類の貧困のうちの1つ目を、3つ目と4つ目に作り直すことを意味すると言われます。
自給自足で満足している人から搾取するのは難しい。そういう貧困を3つ目と4つ目の形、つまり搾取しやすい形に作り直すのが、「経済発展」の正体だと。

チャップリン 映画モダンタイムスより引用”チャップリン 映画モダンタイムスより”

 3つ目の形にするというのは人間を労働者にすること。(チャップリンはこのことを、既に1936年に『モダンタイムス』として誰にでも分かる映像作品にしました)
 4つ目にするというのは人間を消費者にすることだと。

 いかがでしょうか。
 私たちは「貧困」と言われると、1つ目の「伝統的な貧困」と2つ目の「絶対貧困」しか思いつきませんが、経済の構造という視点から見てみると、「経済発展」とは貧困をつくり出すものだということになります。
 このような、見えない「世界の構造」が見えるようになってくると、地球環境危機に対して何をしたらいいのか戸惑う私たちにも、するべきことが見えてくるように思います。

2023.9.8 

(注2)『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』 ダグラス・ラミス(平凡社 2000年)
(注3)『コンヴィヴィアリティのための道具』イヴァン・イリイチ(日本エディタースクール出版部 1989年)