フィリップ・マーロウに教えてもらったこと

LP『マーロウ ロンリー・フォー・ユーLP『マーロウ ロンリー・フォー・ユー
(フィリップ・マーロウ 君がいないと)』
日本コロンビア 1983年
 最近ちょっと不思議なレコードを入手しました。
 『マーロウ ロンリー・フォー・ユー(フィリップ・マーロウ 君がいないと)』というタイトルで1983年制作。
 ネット・オークションの中に見つけたときはピクリと反応してしまいました。
 だって、フィリップ・マーロウですよ。
 「フィリップ・マーロウ」というのはアメリカの小説家レイモンド・チャンドラー(1888~1959)が創造した作品中の主人公。
 これは、そのマーロウをイメージして作られたモダン・ジャズ・アルバム。演奏は知る人ぞ知る石川晶とカウント・バッファローズで、グラスに当たる氷の音なども聴こえる都会の夜のバーの雰囲気です。
 誰がこんなレコードを作ろうとしたんだろう?

 フィリップ・マーロウは傷ついた心を引きずる、ロサンゼルス・ハリウッドの北側のローレル・キャニオン(注1)に住む40代初めの私立探偵です。
 オフィスはダウンタウンにありますが、あまり繫盛はしていません。身長185センチ、文学の造詣が深く、独特の言い回しで皮肉も言います。が、おしゃべりではなく、女性に対しても寡黙です。
 チャンドラーが持つ、アイルランドのクエーカー教徒だった母親の血筋からか、アメリカの風土・社会を一歩離れたところから見るような描写も、とても味わい深いです。

Cover of the first British editionCover of the first British edition

 ぼくはもともと推理小説は好きだったのですが、大学時代にマーロウが登場する諸作を読んで、その簡潔で瑞々しい文体、そしてマーロウのストイックなカッコ良さにしびれました。
 特に傑作と言われている『長いお別れ』(1954年)は何とも言えない詩情が漂い、好きでした。(注2)

 冒頭、主人公マーロウはあるバーで、酔っ払っている若い富豪テリー・レノックスと知り合います。そのテリーがいつも飲んでいるお酒が「ギムレット」というカクテルでした。
 当時ぼくら若者が良く通っていた西洋風酒場である「コンパ」に半分ビビりながら行って、「ギムレット」を注文して飲んでみました。強いお酒らしくクッとくるのですが飲みやすくて美味しい!
 テリーは文中でマーロウに対してこう言うんです。
 「(ここのバーテンは)ギムレットの作り方を知らないんだね」
 「本当のギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、他には何も入れない。マティーニなんかとてもかなわない」

ROSE’S LIME JUICEROSE’S LIME JUICE

 ん?
 ローズのライムジュース?
 何だろう?
 今のようにウィキペディアですぐに調べられるわけではありません。
 何でここで「ローズ=ばら」が出てくるんだろう?
 気になって仕方ありませんでしたが、どうにも分からないままでした。それがとうとう分かったのが、数年後アメリカに留学した時でした。
 以前述べたように、大学卒業後ロサンゼルスの宝石鑑別学校に留学していました。ある日入ったリカー・ショップの棚に、 ROSE’S LIME JUICE という瓶が並んでいるではありませんか。
 あった!
 「ローズ」というのはブランド名だったんだ!
 やった、やった! 大喜びで購入して家に帰り、早速長めのタッパーに GORDON’S DRY GIN と ROSE’S LIME JUICE を半分ずつ、氷も入れて蓋をしてシェイクし、グラスに入れて飲みました。
 うまい!
 ジンの喉につんと来る刺激と、ライム・ジュースの甘さが絶妙にブレンドされ、カリフォルニアの乾いた空気にぴったりで実に美味しい。
 それ以降、毎晩のようにギムレットによる一人宴会が続きました。

 ネタバレ。
 『長いお別れ』語の終盤、テリーの義姉のリンダ・ローリングとマーロウは互いに好意を抱きますが、まもなく別れの時を迎えます。その時のマーロウの言葉。

 「こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった」
 「さよならを言うのは少しの間死ぬことだ」 To say goodbye is to die a little.

 最後に、逃亡していたテリーがマーロウに会いに来るシーンがあります。そこでテリーはこう言います。
 「ギムレットにはまだ早すぎるね」 I suppose it’s a bit too early for gimlet.

 ずいぶん英語の言い回しの勉強になったと思います。

 そして、全部で7作あるマーロウが主人公の作品の最終作である『プレイバック』の中で、ヒロインに尋ねられたマーロウはこう答えています。

 「あなたのようなタフな男が、どうしてそんなに優しくなれるの?」
 「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格もない」

 自分にとって得か損かばかりが頭の中を占め、それによって人を傷つけているかもしれないことにも気づけない今の自分に、マーロウはいつも教えてくれている気がします。(注3)

2024.3.22

(注1) ローレル・キャニオンは1960年代、カウンター・カルチャーの中心地の1つともなりました。
 ハリウッドに近かったことから、かつては俳優と映画関係者、ジャズ・ミュージシャンやビートニクが多く集まったのですが、60年代半ばから「Mr.Tambourine Man」の大ヒットを飛ばしたザ・バーズのメンバーを始め、多くのロック・ミュージシャンが次々と移り住みました。
 有名な住民には、ママス&パパスの「ママ・キャス」ことキャス・エリオット、フランク・ザッパ、ドアーズ、モンキーズ、ビーチ・ボーイズ、ジョニ・ミッチェル、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジェイムズ・テイラー、リンダ・ロンシュタット、イーグルズなどがいて、互いに刺激を与えあっていたといいます。のちにハリウッド映画シーンに革命的転換をもたらすジャック・ニコルソンやデニス・ホッパーら若手俳優たちもやって来たといいます。
 キャロル・キング1971年の名作『Tapestry』のジャケット写真に見られる、セーターとジーンズで裸足で出窓にすわるキャロルの自然体の姿は、当時のローレル・キャニオンの雰囲気をよく表していると言われます。

(注2) 作家の村上春樹も最も影響を受けた作品3つとしてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』、そして本作を上げています。

(注3) マーロウの言葉と並んで、宮城まり子さんが子どもたちに対していつも言っていたこの言葉も、僕に大切なものを思い出させてくれます。
 「優しくね、優しいことは強いのよ」