妻が新しいベッドを買うことになり、それまで使っていたベッドを私の部屋に入れることになりました。
私の部屋は7畳ほど、大きめの机が窓際にあり、あらゆる所に本やレコード、CDが山積みになり、床が見えるのはわずかに1m×2mのスペースだけです。
ここにベッドが入ると、文字通り身動きが取れません。机に向かって座っても、イスを後ろに引くこともできません。
片付け大会が始まりました。
ベッドを運び入れるために、まず、左側にせり出していた棚の中にあるレコードをウォークインクローゼットの棚に移します。ウォークインクローゼットは14~15年前に引っ越してきて以来、一度も片づけたことのない魔窟でした。
まず、身体が入るように物を外に出し、要らなそうな衣服をどんどん処分し、ほこりだらけの床に掃除機をかけ、本とレコードを収納できるようにし・・・
としているうちに、何も考えずにひたすら「これをこうしたら、次はこうして、その次は・・・うん、それで行こう!」と掃除嫌いのはずだったのに、楽しく掃除している自分を発見しました。
しかもその最中は、取り掛からなければならない仕事のこと、懸案となっている心配事など、何も考えていませんでした。思いわずらっていないのです。
ビートルズの名作『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band(1967)に収められている「フィクシング・ア・ホール」Fixing a hole という曲です。
I’m fixing a hole where the rain gets in
And stops my mind from wandering
Where it will go
ぼくは雨漏りがしている穴を修理している
そのとき、ぼくの思考はさまようことをやめている
それはどこへ行くのだろう
I’m filling the cracks that ran through the door
And kept my mind from wandering
Where it will go
ぼくはドアに走っている裂け目を埋めている
そのとき、ぼくの思考はさまようことをやめている
それはどこへ行くのだろう
私たちはある行動をするとき、ずっと「どうしよう」「どうしたらいいだろう」と思いながら行動することがあります。
一生懸命考えているような気がしますが、実は「どうしよう」「どうしよう」とつぶやき続けているだけのことがあります。
心の中は「不安」が駆け巡り、外からみると、きっと険しい顔をしているに違いありません。
と思うと、何も考えず、「不安」に巻き込まれず、ただその行為のみを無心になって、行為そのものになって、楽しい気持ちでやれているときもあります。
そのとき、かつてあった「不安」はどこにもありません。
この「不安」はどこへ行ってしまったのでしょう。
ビートルズはこんなことまで歌っていました。
人は誰も、過去に獲得してきた、これが正しいという概念や価値観を持っています。それは生きる行動原則ともなりますが、時として人を縛ることにもなります。
その価値を、自分は生きることが出来ないのではないか、実現できないのではないかと考え始めるとき、「不安」は生じるというのです。
ですから、自分が堅固に持ち、かつ「不安」を生み出すもとになっている概念や価値観はどういうものかを吟味することができれば、「不安」から離れることができ、自由な心を取り戻すことができると語ってくれます。
その自由な心が「あるがまま」ということでしょうし、ババ・ラムダスが言う「いま、ここに在ること」Be here now ということでしょう。
この曲の中盤で、ビートルズは
Wonder why they don’t get in my door
どうしてみんな、この(自由の)扉に入って来てくれないんだろう
と、嘆いたりしています。
本当にビートルズの、特に後期の曲は「アイ・アム・ザ・ウォルラス」I am the walrus (注1)にしろ、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」While My Guitar Gently Weeps(注2)にしろ、その歌詞だけでノーベル文学賞をとってもおかしくないと言われた「アクロス・ザ・ユニバース」Across the universe(注3)にしろ、驚くほどの傑作ばかりです。
皆さんもお宝を捜してみてください。
2023.11.10
(注2)『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』The Beatles 1968年 収録
(注3)『レット・イット・ビー』Let it be 1969年 収録