友部正人を聴いて (2)-「祈り」の詩人/音楽家

「6月の雨の夜…」「愛について」「僕は君を探しに来たんだ」などが収録されている1987年のライヴ TM Office

 先述のように友部のぶっきらぼうに思える歌いぶりは良くボブ・ディランに似ていると言われます。
 ディランの特徴であるメロディや小節にとらわれない歌い方は、形としての音楽を作る以前にあった、歌いたくてたまらない内実が溢れ出てしまったからこそのものであり、友部もまた「歌いたいもの」がまずあったと言うことができるでしょう。
 歌いたい内実を持たず、歌うものをCD発売に間に合わせるために頭で考えたり、音楽産業に歌わせられる歌からは決して味わえない、聴き手を心の深みへと連れて行ってくれる力が友部の歌にはあると思います。
 そのあたりのことを、若い友人は「本物」と言ってくれたのでしょう。
 友部の中にまずあった、その「歌いたいもの」は「祈り」ではなかったかと思います。
 今も昔も、僕が一番好きな黒人ソウル歌手はオーティス・レディングなのですが、彼の歌の中で最も好きなのが1967年のヨーロッパにおけるライヴ盤に含まれている「トライ・ア・リトル・テンダーネス」〝Try a little tenderness〟です。
 もともとは、ビング・クロスビーやフランク・シナトラを始めとするポピュラー歌手、ジャズ歌手が好んで取り上げた有名スタンダードだったので、異色の選曲といえるでしょう。
 合衆国南部メンフィスのスタックス・レーベル特有の暖かい、それだけで一つの物語のようなホーンのアンサンブルに続いてオーティスが歌い始めますが、「みすぼらしい服に身を包んだ生きることに疲れてしまった少女」という最初の歌詩〝She may be weary〟の前に、オーティスは〝Oh〟という感嘆詞を付けます。
 そのたった一言の〝Oh〟の中に、オーティスは少女の「人」として生きる辛さと哀しみと、それを見つめる彼の深い愛とを吹き込むことができました。

『ヨーロッパのオーティス・レディング』
ワーナーミュージック 1967

 高校から大学にかけて、駆け出しのジャズ・ファンだった頃、ご多分にもれずビル・エヴァンスのピアノが大好きでした。
 ベースのスコット・ラファロ在団中のトリオでニューヨークの名門ジャズクラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードに出演した時のライヴ2枚(1960年録音・Riverside)が宝物でした。
 何とも愛らしくロマンチックな「ワルツ・フォー・デビー」〝Waltz for Debby〟と「グロリアズ・ステップ」〝Gloria’s step〟が長い間大好きでした。
 ところが40歳近くになって、ある時久々にこのレコードを引っ張り出して聴いてみると、当時は良く判らなかった全くのバラード「マイ・フーリッシュ・ハート」〝My foolish heart〟が驚くほどいいんです。
 「リリシズムの極致」と称される、今更言うまでもない名演なのでしょうが、その最初の一音で伝わってきたのは「リリシズム」などという言葉では表現し得ない、打ち震えるような「祈り」でした。

『ワルツ・フォー・デビー』ビル・エヴァンス
ユニヴァーサル 1961

 「祈り」などと言うと、普通の人は胡散臭く思うかもしれませんね。
 現実の生活から逃避して、ご本尊の名を唱えることで自分の弱さを救ってもらおうとする自立できない心の現れが「祈り」だと言うかもしれません。
 それでもいいと思います。自分にもそういうことは多々あります。

 と同時に、世界の様々な国の音楽や文化、人々の生活に触れたり、自分自身も様々な経験を重ねたりしてくるに従って、「祈り」にはもう一つ別の側面があり、人間が持ち得る最も崇高な感情こそ「祈り」ではないかと思うようになってきました。
 例えば、夜、幼い子供が高熱を出したとします。母親が心配げに、「どうしたら熱が下がるだろう」と寝ずの看病をする時、その母親の心は「祈り」に満ちています。(注1)
 遠い異国の地での戦争で、母親を失い、自らも深い傷を負った子供の写真を見たとします。何とも言えない悲しみと、どうにかしてあげたいけど、どうしたらいいのか分からないやるせなさを感じる時、その心からは透明な「祈り」が立ち上っています。

 オーティス・レディングやビル・エヴァンス、そして誰よりも友部正人らの音楽に共通して流れているものも、そのような「祈り」の情感ではないかと思います。
 人間として生きる辛さや哀しみを知らざるを得なくなり、それを抱えている人々に対して何をしてあげられるのか分からない、あまりにも無力な自分の現実に胸を叩きたくなるような想い。
 そう考えてみると、音楽家自身がぎりぎりまで自らの内面を見つめたところから、期せずして生まれてくる「祈り」が内包されている音楽こそ、人のこころを慰め、癒してくれる力を持っているように思えてきます。

 すると、僕には、(引き合いに出して申し訳ないですが)一時大きな人気を博したピアニスト、キース・ジャレットの音楽や「ヒーリング・ミュージック」と呼ばれるものの多くが、どうしてあれだけ美しいように見えて、実は僕らの心に寄り添いには来てくれないかということも、また反対に友部正人の歌が、ぶっきらぼうのように見えて、どれだけ人の心の傷を癒し得るかも良く分かる気がするのです。(注2)

 日本でしかありえない、日本が誇るべきこの「祈り」の詩人/音楽家をまだ体験していなかったら、ぜひ聴いてみてください。

2025.3.25

(注1)参考:「人生で一番知りたかったこと―ビッグクロスの時代へ」高橋佳子 三宝出版 2003
(注2)2008年に亡くなった友部の友人、岡田昌氏の告別式の後の庭で、喪服のままギターを爪弾いて歌った追悼の2曲。「祈り」の音楽とはこういうものです。
https://www.youtube.com/watch?v=jYucI-uzOdg 友部正人 岡田昌に捧ぐ「夕日は昇る」
友部正人 岡田昌に捧ぐ 2
2008年12月12日金曜日 告別式後、月の庭にて
友部正人 岡田昌に捧ぐ 2 「僕は君を探しに来たんだ」