ガザの『ピエタ』

2024年『姪の亡きがらを抱くパレスチナ女性』撮影者モハメド・サレム氏(パレスチナ)
2024年『姪の亡きがらを抱くパレスチナ女性』
撮影者モハメド・サレム氏(パレスチナ)

 「フォト・ジャーナリズムで最も権威がある」とされている世界報道写真大賞の2024年受賞作品に、ロイターのカメラマン、モハメド・サレム氏による『姪の亡きがらを抱くパレスチナ女性』が選ばれました。
 2023年10月17日、ハマスによるイスラエルの音楽祭襲撃の報復として始まった、イスラエル軍によるガザ全土への空爆によって死亡した5歳の姪サリーちゃんの遺体を抱きしめるパレスチナ女性の写真です。
 130ヶ国、3851人のカメラマンが撮影した6万1062点の応募作品の中から選ばれました。

 世界報道写真大賞とは1955年オランダで設立された財団が毎年開催する世界報道写真コンテストにおいて、もっとも優秀な写真を撮影したカメラマンに贈られるもの。
 これまでにも著名なカメラマンによる写真が受賞しています。
 たとえば、

マルコム・ブラウン氏(アメリカ)撮影による、サイゴンで抗議の焼身自殺をした僧侶
(A)

沢田教一氏撮影による、アメリカによる爆撃から逃げるため、川を渡る母親と子供達。『安全への逃避』
(B)

フィン・コン・ウト氏(南ベトナム)撮影による、南ベトナム空軍機から投下されたナパーム弾から裸で逃げる少女たち
(C)

チャーリー・コール氏(アメリカ)撮影による、中国天安門事件のさなか人民解放軍の戦車の行く手を遮ろうとする一人の男性
(D)

1960年 長尾靖氏撮影による、浅沼稲次郎暗殺事件。

1963年 マルコム・ブラウン氏(アメリカ)撮影による、サイゴンで抗議の焼身自殺をした僧侶。(A)

1965年 沢田教一氏撮影による、アメリカによる爆撃から逃げるため、川を渡る母親と子供達。『安全への逃避』(B)

1966年 同じく沢田教一氏撮影による、アメリカ軍の装甲車に引きずられる解放戦線兵士(ベトコン)の遺体。『泥まみれの死』

1968年 エディ・アダムス氏(アメリカ)撮影による、南ベトナムの警察長官のベトコンの処刑。

1972年 フィン・コン・ウト氏(南ベトナム)撮影による、南ベトナム空軍機から投下されたナパーム弾から裸で逃げる少女たち。(C)

1989年 チャーリー・コール氏(アメリカ)撮影による、中国天安門事件のさなか人民解放軍の戦車の行く手を遮ろうとする一人の男性。(D)

など、歴史の教科書にも出てくる写真が目白押しです。(注1)

 みなさんも、きっと心を痛めておられるように、パレスチナ・ガザ地区の人々はいま、大変に過酷な状況にあります。
 今回の出来事の発端は、パレスチナの抵抗組織ハマスがガザ地区~イスラエルの境界に作られた分離壁を破って、イスラエルの音楽フェスティヴァルを楽しんでいた人々を襲い、364人を殺害、40人を拉致したことからだと言われています。もちろん、その蛮行は決して許されるものではないですが、そういう形で表すほかないほど、ガザ地区の人々の苦しみ、悲しみ、そして怒りと絶望は、何十年間も極限まで堆積していました。(注2)

 それに対するイスラエルの報復攻撃は度を越えていました。
 まずガザ地区北部からミサイル攻撃と空爆を始め、ガザ全体を消滅させたいかのように、廃墟にしていきました。
 攻撃対象はハマス戦闘員だけであるはずでしたが、一般市民との区別もしない無差別攻撃で、多くの市民が犠牲になっていきました。病院すらもことごとく破壊されました。入院中の患者たちすらも虐殺されていったようです。

 今に至るまで、ガザ地区の人々の犠牲者は約3万5000人、その3分の2は女性・子どもと言われています。その数2万4000人くらい。
 そのうち1万5000人は子ども達です。
 今も全世界で紛争が起き、子ども達も巻き込まれ、命を落としています。
 軍は通常は、子ども達は攻撃しないものです。それでもこの数年間、全世界の子ども達の犠牲者数は年間で2200人~2300人にも上ります。

 その7倍です。あれだけの狭い地区で、しかも6ヶ月で。
 その状況の中での、冒頭の写真大賞受賞作品です。世界の人々の目をガザの人々に向けさせる助けになりました。

 国連安全保障理事会はほとんど機能しませんでした。
 イスラエル即時停戦決議が出るたびに、アメリカが拒否権を発動しました。
 アメリカ政府は国内のユダヤ人パワー、経済力と政治力を必要とし、その見返りにイスラエルに武器を供給しているという構図があるからでしょうか、ユダヤ人に背を向けられてしまう可能性のある政策は打てません。
 日本政府もまた、アメリカに追従してか、あいまいな態度しか取れませんでした。(注3)

2024年に大学にてパレスチナ支持のデモが起きた国
2024年に大学にてパレスチナ支持の
デモが起きた国

 唯一、最近になって全米の若者たちが立ち上がり始めました。
 名門コロンビア大学やハーバード大学、エール大学、MIT、UCLA、UCB、スタンフォード大学など100校にも及ぶ大学の学生たちが、アメリカ政府に対して、イスラエルによる「ジェノサイド(民族浄化)」を辞めさせるよう、大学 当局に対してもイスラエルの利となる関係を断つよう抗議していったのです。
 それは、フランス・パリのソルボンヌ大学やイギリス・ケンブリッジ大学、スペイン、オーストラリア、そして日本にも飛び火していきました。
 逮捕者を出しながらもますます激しくなる抗議運動に、とうとうバイデン大統領もイスラエルへの武器の供与を一部中止するという声明を出しました。
 今秋の大統領選を見据えての判断もあるでしょう、それで構わないと思います。それで、子どもたちの命を失わずに済むのであれば。

『ピエタ』ミケランジェロ
『ピエタ』ミケランジェロ(1498―1500制作)

 冒頭の写真に戻ります。
 この写真を見たときに、僕はある芸術作品を思い出しました。それはミケランジェロ(1475~1564)による彫刻『ピエタ』です。
 イエスが十字架に貼り付けになり、下ろされたその遺体を抱き、嘆く母マリアの姿です。
 人間の悲しみを最も深く表現している芸術作品とも言われています。
 しかし、「魂の永遠」を証明し、多くの人々を救うであろう未来のためになら息子の死を受け入れることができたかもしれないマリアより、一家4人が亡くなり、小さかった5歳の埋葬衣に包まれた姪をただ抱きしめるしかないパレスチナの女性の方が、その絶望は深いと思います。
 いったい誰が、彼女たちを救ってあげるのでしょうか。

2024.4.26

(注1)1955年から2011年までの大賞受賞作品はこちらから見ることができます。
https://dailynewsagency.com/2012/02/12/every-world-press-photo-winner-from-1955-2011/
(注2)1996年イスラエルは、ガザ地区の人々が他地区と行き来できなくなるように、分離壁でガザ地区を取り囲みました。ですからガザ地区は「天井のない監獄」と言われることもあります。
 移動の自由を奪った後、イスラエルは日々無差別ミサイル攻撃を仕掛けました。2008年から2021年のイスラエルによるミサイル攻撃の回数は約1万5000回だそうです。
 それらによるガザの人々の犠牲者数は2008年から2023年9月まで6407人、同時期のイスラエル人の犠牲者は308人でした。
(注3)日本の総合商社伊藤忠がイスラエル最大大手軍需企業エルビット・システムズと経済協力関係があるのに対して、市民が抗議活動を展開し、とうとう2024年2月に関係を終了することまでになりました。しかし、このことはテレビ・新聞ではほとんど取り上げられませんでした。