授業で映像を使って、過去の戦争の悲惨を訴えたり、世界で起きている紛争や貧困の実態などを伝えると、子どもたちの中から「日本は平和で良かった」という感想がよく出てきます。
そういう感想に対して、何となく違和感を覚えながらも、「まあ、確かに日本は戦争していないし」などと僕らも自分を納得させることがあります。
皆さんでしたら、どう答えますか?
DVD『もし世界が100人の村だったら』
ポニーキャニオン 2009年
「『もし世界が100人の村だったら』を見ればわかる通り、世界の人々はみな平等ではありません。
募金などの活動をして、少しでも世界の平和に近づけていこうとしている人はたくさんいます。それでもなぜ世界は平等にならないのか。
それは世界の事情を知っていても『自分は平和なところに住んでいて良かった』としか考えない人が多数いるからだと思います。
その考えは『自分が良ければよい』というものであり、平等なものではありません。
平等に近づけるためには、『自分は良かった』だけでなく『他も自分のようにならなければ、なるべきだ』という考えに変えることが大切だと思います。」(中3 N・M)
自分のことを言われたようで、どきんとしました。
そしてもう1つ、より本質的には、日本が「平和」であるなどということは全くないということも知っておくべきだと思います。
かつては「平和」とは「戦争のない状態である」と定義されていました。
しかし現在では「平和」とは「暴力のない状態である」とされています。しかもその暴力とは、ただ人を肉体的に傷付けることだけを意味しません。
『構造的暴力と平和』
ヨハン・ガルトング 1991年
(1)直接的暴力
(2)構造的暴力
(3)文化的暴力
があるといいます。(注1)
「直接的暴力」とは、戦争や犯罪など人を直接的に傷付けること。もちろん、いじめや言葉による暴力、最近ではSNS上の誹謗中傷も入ります。
「構造的暴力」とは、特にすべての人を豊かに幸福にしようとはしない政治的、経済的仕組み。
そして「文化的暴力」とは、それらを助長する、人々の内面を貧しくさせ、人と人との繋がりを分断し、孤立させてゆくような文化のこと。
ここから考えてみると、日本は幸いにも戦争に巻き込まれていないだけで、(それすら最近は危ういです)「直接的暴力」はもちろんのこと、「構造的暴力」、「文化的暴力」にも満ち満ちています。
無論今までは考えられなかったような凶悪な無差別犯罪も多発しています。
日本社会は残念ながら、暴力に満ちているという徹底した自覚、ある種の覚悟ができて、初めて「では未来をどう作っていくか」を考え始めることができると思います。
暴力に満ちた社会は、子供たちに「力こそすべて」というメッセージを送り続けることになります。
それは、私たちの目には見えづらい、しかし確かにある子供たちの「たましい」を豊かにしてゆこうという教育の営みとは対極のベクトルです。
教育という営み自体、「人間の最も人間らしい尊厳から産み出されていった文化の継承」という意義がある以上、特に「文化的暴力」とどう対峙するかということが教育関係者にとっては避けられないことになってきます。
2008年に亡くなられた「知の巨人」加藤周一氏の著作の中に、概略こんな内容がありました。
「外国人が来日してホテルに泊まると、少しでも生きた日本語を学ぼうとまずテレビをつける。
ところが、その内容のあまりのバカバカしさに驚くという。他の国々と比較してどうこうというレベルではないらしい。群を抜いた愚劣さで、彼らが日常付き合う日本人は普通の人間なのに、テレビでは突如として白痴になってしまう。
それが、日本の特徴の一つだという印象を持つほどだという。」(注2)
テレビの内容の俗悪さは、今に始まったことではありませんが、特にこの30年のそれは尋常ではありません。(良心的なテレビマンがいらっしゃることは分かります、その人たちにはすみません)
人間の意識のきわめて表層の部分に刺激を与え、興奮させるだけかと思うような番組が喧伝されます。
刹那的・瞬間的な笑いを取ろうとする芸人さんがもてはやされることも多いです。
しかもそこには、社会的弱者を攻撃して、自分を高みに置くような、人間的に歪んだ笑いや、真摯さや真面目さをからかうような冷笑やニヒリズムがあったりします。
バラエテイ番組でも、視聴者に優越感を持たせるためなのか、呆れるほど無知な「おバカキャラ」や、視聴者に不安を与えるばかりの「コメンテイター」(特に新型コロナ禍でのデータに基づかない、素人コメントは悲しかったです)というのがもてはやされ、知性や理性などなくても生きてゆけるという錯覚を子ども達に与えます。
日本テレビ『知ってるつもり⁈』
あー、やっぱり「知ってるつもり⁈」(注3)ですね!
日本テレビはこの番組を再放送したり、アーカイヴ化したりしてくれないでしょうか?
2025.1.30
(注2) 『常識と非常識』加藤周一 かもがわ出版 2003
(注3) 1989年から2002年まで、毎週日曜日に日本テレビで放送されていた番組。司会は関口宏氏。歴史上の有名無名の人物を、ただの業績紹介のみならず、時代の呼びかけに応えて生きようとした切実な願いや後悔までが描かれていて、社会科の授業には良く使わせていただきました。