どん!と増やしてほしいんです、教員のマンパワー

 

024年4月25日 朝日新聞2024年4月25日 朝日新聞

 東京都教育委員会が、昨年度(2023年度)採用となった公立学校の新任教諭のうち、1年以内の退職者が169人だったと発表しました。
 全体の4.9%で、過去10年で最多だったそうです。
 教員を志望する学生さんたちがどんどん減り、志があって教員になっても、すぐ退職する人が増えています。退職者の約半数が病気で、多くが精神疾患だそうです。
 私が経験した学校のことを思い出しても、とても納得してしまいます。

 定年ちょっと前に勤務していた中学校は歴史的に結構荒れていて、入学を希望する生徒が集まらず、2年後の廃校が決まっていました。1、2、3学年ともに2クラスずつしかありませんでした。
 各学年2クラスずつですと、社会科の場合、1学年週3時間の授業を2クラス=6時間、2学年も同様に6時間、3学年は週4時間を2クラス=8時間、週に計20時間、ここに担任の場合学活、道徳、総合が入り、週に23時間のコマを持っていることになります。
 週5日として一日に4~5コマ、授業のない空き時間はほとんどありません。各学年の授業のために、毎週進む1年生3時間分、2年生3時間分、3年生4時間分、計10時間分の授業内容の準備もしなければならず、その教材研究も重労働でした。

 ここに生活指導が入ります。
 この学校は区内で一番、警察のお世話になっていた学校でした。多くの事件が起きました。学校内でのいじめ、リンチ、喫煙、器物破損、対教師暴力、学校敷地内での放火、校外での迷惑行為など、その対応で教員はみなくたくたです。

 私が所属していた1学年担当の4人の教員のうち、1人の美術の女性の先生は1学期中に退職、私の隣のクラスの担任をしていた体育の女性の先生も精神的に参って夏休み前に休職、間もなく退職していきました。
 私も毎朝起きると吐き気がして、次に倒れるのは自分かなと半分真面目に思っていたものでした。
 学校行事も大変でした。1年生の冬にスキー教室に行きます。学年所属の教員が7~8人いれば、2人ぐらいで担当できるのですが、学年4人ではそういう訳にもいきません。要綱作り、業者との折衝、家庭からの費用の徴収、教育委員会との連絡、事前指導と1人で何から何までやりました。
 少なくともあの頃、学年に倍の人数、7~8人いたら、教員にかかる負担がまるで違っていました。退職する人も出なかったと思います。

 いま、教員の負担を減らそうと2つのことが言われています。
 現在、教員には、遅くまで何時間も学校で仕事をしていても、家に持ち帰って教材準備をしても、残業手当は一切出ません。
 その代わり、給料に4%上乗せしています。これを「給特法」(注1)といいます。これを改正して「定額働かせ放題」にならないよう、上乗せ分を10%に引き上げようというものです。これが1つ目です。(注2)

 2つ目は、1クラスの生徒数の削減です。
 現在、中学校の1クラスの生徒数は40人です。これを35人、またはそれ以下にしようという声が強くあります。これは業務はその分、楽になると思います。しかし、教員1人当たりの授業の持ち時間は変わりません。

 いま、最優先ですべきことは、教員の数をどんと増やして、1人ひとりの教員の授業時数をどんと減らすことです。
 例えば前述のように、一学年の教員数4人が7~8人になれば、週の授業は12~14時間ぐらいになるでしょう。考えただけで夢のようです。
 時間的なゆとりは精神的なゆとりを呼び、生徒たちとの屈託ないおしゃべりもできるようになるでしょうし(今は全くと言っていいほどできません)、授業やクラス経営で悩みを抱えている同僚の相談にも乗ってあげられます。
 今まで、暗い顔をしている同僚に「どうしたの?」と声をかける時間もありませんでした。それができるようになります。

 公立学校の教員定数は「義務標準法」(注3)という法律で定められています。
 それによると、例えば全校6クラスの場合、1.75をかけて、6×1.75=10.5、11人になるのだそうです。8クラスだと1.725 をかけ、10クラスだと1.720 をかけます。
 とてもこの定数ではマンパワー不足なので、校長・副校長は講師などを引っ張ってきて、可能な限り教員数を増やそうと必死です。

 この1.75という乗数はどこからやってきたのでしょう。
 「義務標準法」ができたのは、今から70年近くも前の1958年です。
 1950年~53年の朝鮮戦争特需により日本経済が潤いはじめ、日本は貿易立国を目指そうという方向性が見えてきたころです。
 当然、世界に対して競争力が持てる製品を作り出せる知識・技能を持った人間を作り出す、それが日本の教育の命題になっていきました。一種の工場でしたから、1クラスの生徒数はなるべく多くして、生産性をあげようとしたのかもしれません。その意味では、1980年代まではうまくいったと言えなくもないでしょう。
 しかし、1990年ごろからの冷戦終結による世界システムの変化、産業構造の変化に伴うグローバル資本主義の台頭など、それまでの教育によって育てられた人間には太刀打ちできないような激流が起こってきました。

 そして、中身のない入れ物に、一杯の知識・技能を詰め込もうと言わんばかりのことをされた生徒たちは、やがて人間として壊れていきました。

 中身がないどころか、生徒たちは豊かな内面をすでに持っているものです。それを育て、引き出してあげるために、豊かな環境が必要なだけです。
 疲れ切った、笑顔を浮かべることもできなくなった教員では、生徒たちは育ちません。
 教員が笑顔を取り戻しさえすれば、生徒たちはすくすくと育ちます。

 行政は、多額の予算を使って生徒1人ひとりにタブレットを持たせたり、社会情勢に対応するためと言って、学習指導要領を次々と変えたりしています。
 それら以前に最優先ですべきことは、義務標準法の改正も含め、教員定数をどん!と増やすことです。(注4)
 それさえすれば、日本の教育は大きく変わっていくのです。

2024.5.10

(注1)正式名称「公立の義務教育諸学校の教員職員の給与等に関する特別措置法」1971年
(注2)「尾木ママ」こと、教育評論家尾木直樹氏は「10%どころか40%にはしないと残業実態には合わない」とおっしゃっています。
(注3)正式名称「公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律」1958年
(注4)政府・財務省は教育にお金を出し渋ります。
2017年、OECD加盟国38ヶ国の中で、公教育へ支出の国内総生産(GDP)に占める割合は、日本は37位の2.9%、ワースト2でした。
 ノルウェーが6.4%と最も高く、コスタリカ5.6%、ベルギー、スウェーデンが5.2%と納得の国々が続きます。
 下記は2012年度のグラフですが、現在の方が悪化しているように思えます。