ジョン・レノンの詩とその思想

 私たちの世代にとって、何よりジョン(1940~1980)の格好良さと言ったらありませんでした。
 ビートルズ時代からソロ活動に至るまで、創る音楽のすばらしさと、その思想の深さは、すべてのポピュラー・ミュージシャンの中でも群を抜いていました。
 ドラッグ体験から始まったのでしょうが、インド哲学や、鈴木大拙を始めとする日本の仏教や禅に対する深い理解、生まれてからの原初的なトラウマを回復させようとするアーサー・ヤノフ博士の原初療法への傾倒など、人間の本質と、人間と宇宙との関係を解き明かそうとしていた求道者のような真摯さに、私たちは胸を打たれていました。
 ビートルズ解散前後からは、ベトナム反戦を旗印に、平和運動にも深くコミットして世界中の若者に影響を与えます。
 と思ったら、オノ・ヨーコとの間に長男ショーンが生まれると、一切の音楽活動を停止して、概念化した男女の役割を超えてハウス・ハズバンド(主夫)となり、子育てを楽しむ日々を送ります。
 一人の人として、何を大切にして生きるのかを見せ続けてくれたジョンこそ、「自由な精神」そのものであり、彼に続く若者たちにとっての Guiding spirit でした。

 同時代の、日本が誇るアーティスト横尾忠則氏も次のように述べています。
 「ビートルズは導師だった。
 ビートルズを射程に収めてさえいれば、時代が目指すべきものからずれてしまったり、取り残されたりすることもなく、歩んでゆける。
 その中心はジョン・レノンだった。
 それが、1980年12月8日に断ち切られた。
 単独で時代を象徴する存在はもうなかった。」(注1)

 2001年9月11日のニューヨークの同時多発テロの直後は、その全体像について、時間を見つけては少しずつ生徒たちに話してきました。
 特にパレスチナの人々を無情に蹂躙するイスラエルのシャロン政権(当時)と、そのイスラエルを支えるアメリカ政府、それに対してイスラム過激派は自分たちの命を捨ててでも、アメリカに復讐しようとした事件だったこと。
 だとしたら、私たち一人一人は何を考えなければならないのだろうということ。

 海の向こうからは、「報復攻撃すべし!」というナショナリズムが勢いを持ち、「イマジン」その他の平和を求める反戦的な音楽がラジオ各局で放送自粛曲になりました。
 それに対して、「イマジン」の作者ジョン・レノンのパートナーであったオノ・ヨーコさんが、有力新聞「ニューヨーク・タイムス」に「イマジン」の歌詞の一節だけを載せた全面広告を出したという話も伝わってきました。
 2学期の期末試験も終わったそんな頃、これは授業で取り上げたいと思い、12月8日のジョンの命日に、『イマジン』の歌詞を主軸にした授業を中学2年生相手に行ってみました。

 様々な映像を生徒たちに見せた中で、ジョンの暗殺後のセントラルパークでの追悼集会の映像では「愛こそはすべて All you need is love」が流れ、多くの人が声を合わせて歌っていました。暴力によって命を奪われたジョンのメッセージとしては最高に胸に響くものでした。
 個人的にも1967年の世界初のテレビ同時中継「アワ・ワールド」の中で、イギリス代表ビートルズが新曲としてこの曲を披露したのが忘れられません。
 イントロではフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」のファンファーレが流れ、後半にはドイツのJ.S.バッハの「2声のインヴェンション8番」やアメリカのグレン・ミラー楽団の名曲「イン・ザ・ムード」を引用するという、世界各国の音楽への敬意を表す姿勢も見事でした。
 そこで、ビートルズの活動を子ども達に紹介する中で、「ビートルズ・アンソロジー」に収録されている同曲を見せました。
 ところが画面下に出る歌詞の日本語訳がどうもおかしいのです。慌ててCDに付いている歌詞を見てみたら次のような訳でした。

「できないこと やれやしない
歌えないこと 歌えやしない
君は何も言えない
だけどやり方はあるさ
こそこそせずに
気楽にいける」

 これはまずいでしょう。
 これでは曲全体が「やれないことは、どうせやれないんだから気楽にやろう」という投げやりな意味になってしまいます。

 最初の一行はこうです。
 There is nothing you can do that cannot be done.

 これを訳詞では「やれないこと やれやしない」となっています。
 これはThere is nothing you can do だけの文章の意味です。
 ところが原詩は(nothingの後にthatが省略されているのですが)関係代名詞の二重限定という用法だそうで、
 「君にできることで、なされ得ないものは何もない」
 つまり
 「君がしようと思ったら何でもできる」
 という意味になります。
 そのために 必要なのは「愛」だけなんだ という文脈になるわけです。
 1971年の「イマジン Imagine」だって、想像することから新しい現実が始まるという非常に肯定的な思想でした。

 ところが。
 ジョンの死後1ヶ月経った1981年1月11日、ヨーコさんは手紙をくれたり基金に寄付してくれた全世界の人々に対して「In gratitude (感謝を込めて)」というとても美しい文章を各国の主要新聞に載せました。
 ジョンを守れなかったヨーコさん御自身の悔いと、ジョンを殺すことを許したこの世界に対する怒りを表明し、唯一のリヴェンジ(復讐)はこの世界を「Love」に基づいたものにすることだと述べた後の最後の一言がこうでした。

 Remember, there is nothing you can do that cannot be done. Imagine.
 「君がしようと思ったら何でもできるとジョンが言っていたことを忘れないで。想像してごらん」

 「イマジン」はともかく、このthere is nothing…以下の一文が「愛こそはすべて」の歌詞の引用であることに気付いた人は少なかったようです。
 とても素敵な英語の教科書である「道具としての英語・読み方編」(注2)の中でこの「In gratitude」を教材として取り上げてくれた編者もこの「there is~」の文章に対して
 「何だろう?歌詞か何かの一部だろうか?」
 と言っています。

 悲しい例をもう一つ。
 ミュージシャンに尋ねた最も好きなビートルズの曲というと第1位が「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、第2位が「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」ということになるといいます。
 共にジョンの曲です。
 特にポール・マッカートニー作による「ペニー・レイン」と共に両A面シングルとして発表された「ストロベリー・フィールズ」は当時のジョンの世界観を示した重要な曲です。
 何曲分ものアイデアを1曲にぶち込んだような、楽曲の輪郭の大きさと歌詞が持つ世界観の深さによって一生の愛聴曲になりうる名曲でもあります。
 その歌詞の前半にこういう部分があります。

 Living is easy with eyes closed.
 Misunderstanding all you see

 添付されている歌詞カードでの訳はこうです。
 「目を閉じれば人生なんて楽なもの
 目に映ったものは自分なりに受け止めればいい」
 これはないでしょう。またもや随分シニカルな、あるいは投げやりな感じになっています。
 ここは
 「目を閉じてしまって、世界の真実を見ようとしなければ、生きてゆくのは楽かもしれない」
ということでしょう。
 もちろん「でもそれでは本当の幸せではないんだ」という意味が含まれていることは言うまでもありません。

 ジョンのビートルズ時代の最後の名曲「Across the universe ~アクロス・ザ・ユニヴァース」でも
 「宇宙を越えて、絶えることがない愛が空から降り注ぐ」
 という非常に肯定的な歌詞が印象に残っています。

 ジョンは一時期シニカルな部分を持っていたのも確かだと思いますが、人間の未来について「祈り」にも近い希望を持っていた人だと個人的には思っています。
 歌詞を訳す時にも、せめてその人が何を願って人生を歩んでいたのかを掴もうとするぐらいは最低限必要なことだと思いますが、いかがでしょう。

2023.7.14 

(注1)『ジョン・レノンを抱きしめて』ミュージック・マガジン社 1981年
(注2)別冊宝島㉔ JICC出版局1981年