案の定、今年(2024年)7月、8月も昨年を上回って観測史上最も暑い夏だったそうです。
毎日のように多くの救急車のサイレンの音が聴こえていました。5月から8月一杯まで、全国で熱中症で搬送された人は8万5475人、東京都だけで6月から8月に熱中症疑いで亡くなられた方は 248人にも及びました。
まさに「生命にとっての危険な暑さ」です。
「地球温暖化」どころか、「地球沸騰化」でした。
いま私たちは、どこまで本気で温暖化の主要原因となっているCO₂の排出量削減と緑の回復を目指そうとしているのでしょうか。それは私たちのためのみならず、次世代のためにも必須です。
大阪市では2018年以降、2万本近くの道路や公園の樹木が伐採されたそうです。弱った木のみならず、付近の交通に影響がある木なども対象としているようで、替わって新たに植える木の本数はそのうちの2割ほど。(注1)
大阪だけに限りません。
東京都でも神田警察通りや玉川上水遊歩道、日比谷公園など、各所で樹木の伐採が進み、人々にとって大きな憩いであったイチョウ並木の伐採を含む神宮外苑の再開発計画は、今年の知事選の争点にもなりました。
オーストラリアのメルボルンでは、繁華街にも立派に枝葉を広げた街路樹が続き、2012年に約20%だった樹冠被覆率(注2)を2040年には40%にまで高めようとしているところです。
東京都区部の樹冠被覆率は2013年が9.2%、2022年が7.3%と減少しています。
世界では被覆率30%を目指している都市が多いのに、なぜ日本人はわざわざ住みにくくするのだと唖然とされています。
被覆率を30%に高めることで、熱中症など暑さによる死亡者数を約40%減少することもできるという医学誌の論文もあります。
日本は樹木には非常に厳しい。
逆に、非常に甘いのが自動車に対してです。
先日、人々の命や生活を脅かす猛暑や豪雨など、極端な気象をもたらす温暖化の進行を放置することはできないとして、将来を生きる若い世代、全国15~29歳の16人が、火力発電を展開する企業など10社に対して、国際目標に整合する形でCO₂の排出削減を求める訴訟を起こしました。
このテーマで若者だけが原告になる訴訟は日本では初と言います。
豪雨被災地出身の大学生は「大人が招いた気候変動で、失われるはずがなかった命が現実に失われている」と話しました。
本当に申し訳なく思います。
と同時に、火力発電以上にそのCO₂排出量を削減しなければならない自動車について語られることは非常に少ないと感じています。
日本人にとって、「自動車こそは現代機械文明の輝ける象徴」(注3)でした。
自動車を購入できることは、自分の城を手に入れることでもあります。
行きたいところに速く行けます。公共の電車・バスなどの混雑などなく、快適さがあります。天候も気にする必要はありません。
商品の運輸についても、大きな利益をもたらしてくれました。結果、経済的生活水準は上昇しました。
同時に、自動車通行は、市民生活に大きな負の影響も与えています。
CO₂排出はもちろんのこと、NO₂などの大気汚染物質排出、歩行者の安全の問題、子どもたちの遊び場の消失、生活への圧迫、そして緑空間の確保の困難などがそうです。
ここで、フランスの都市社会と自動車について、興味深い例があるので考えてみたいと思います。(注4)
フランスのド・ゴール大統領というと、第2次世界大戦中は亡命先ロンドンで自由フランス政府を樹立してナチス・ドイツと闘い、戦後は大国アメリカに追随しない独自の外交路線を展開して、「最後の偉大なフランス人」と称された人でした。
しかし経済の面では、パックス・アメリカーナの流れの中にフランスを組み込もうとした人でした。1軒に1台の自動車を所有することを目指し、旧市街に自動車が自由に入れるようにし、高速自動車網をつくり、フランス随一の自動車会社ルノーを支援しました。
生き方も生活も極端にアメリカ的に傾いていき、1950年代から60年代にかけて社会に非常に大きな混乱をもたらすことになりました。
それに対してフランスの学生たちが批判的な動きを始め、1968年の「5月革命」に結実していきます。その時の拠点の1つがフランス南東部の都市、グルノーブルでした。
グルノーブルはパックス・アメリカーナの被害を最も大きく受けた町だったそうです。古い街並みに自動車が無秩序に入ってきて町が壊され、経済的にも追い詰められていきました。
そのグルノーブルに新しい動きが出てきたのが1980年代でした。
その起点になったのが、1981年に大統領になったミッテランによる地方分権化政策です。
それはいくつかの都市を一緒にして広域地方自治体をつくり、そこに都市計画や地方の公的な計画を立案して実行する権限を与えて、交通税その他の財源も移譲するというものでした。
すると、エリート校を出た人たちが中央官庁の官僚になるよりも、地方自治体で働くことに生きがいを見出すように徐々になっていきました。それは法学部出身者よりも工学系のエンジニアに顕著でした。工学によって共同体的な、町が豊かになる基礎がつくられていきます。
こうして1980年代から90年代に、フランスの街は大きく変わっていきます。
町の中心から自動車を締め出し、人々は市電、バス、自転車で移動します。郊外から自動車で通勤する人のために、市電の駅には必ず駐車場を設けて、市電に乗れる回数券を配布します。高層建築を禁止し、緑を増やします。
そんなきめ細かい政策によって、10年から20年の間に町が全く変わっていくのです。
町全体が活性化し、緑が多く、本屋や喫茶店があり、そこを人々が歩いているような古き良き時代の町になっていきました。
ドイツのデュッセルドルフやフライブルクも、長期計画に沿って環境都市つくりをしてきたことで知られています。そこでは、市場=消費経済の動きのままに町つくりを放置するのではなく、市場を市民社会的なコントロールの下に置こうという理念が明快だったそうです。
では、日本は?
いきなり東京・大阪などの大都市では難しいとしても、「地方創生」を掲げる新首相なら、考えられることはあるかもしれません。
「地球温暖化・沸騰化」に対して、私たちが出来ることとして、省エネ・節電、自動車・飛行機以外の移動手段の選択、廃棄食品を減らす、家庭のエネルギー源の再生可能エネルギーへの切り替えなどをしていくのはとても有意義だと思います。
と同時に、この暑さの中で、「気候は自然現象だから仕方がない」というあきらめや「誰かがそのうち何とかしてくれるだろう」という依存が、私たちの心の中に出てきたりします。
まず、そのあきらめや依存を砕いて、こうさせてしまった社会の構造を学び、「温暖化・沸騰化」は例え時間がかかっても、必ず止めることができると心を定めることが必要だと思います。
私たちは「温暖化・沸騰化」を通して、この社会をどのようなものにしていきたいのかを考えられるようになっていく、その成熟こそが呼びかけられているように思うのです。
2024.10.15
(注2)Tree canopy coverage TCC と言い、土地の面積に対して枝や葉が茂っている割合のことです。単に樹木が何本植えられているかではなく、この樹冠被覆率を大切に考えます。樹冠が街路を覆うことによって緑陰効果(緑の日傘)が得られます。道路に直接日光が当たると、夏場の路面温度は50度を超えますが、街路樹の木陰では、路面温度は20度も低くなるそうです。(『街路樹は問いかける』岩波ブックレット2021年)
(注3)『自動車の社会的費用』宇沢弘文 岩波新書1974年
(注4)以下は名著『始まっている未来 新しい経済学は可能か』宇沢弘文・内橋克人 (岩波書店2009年)より大きな示唆を頂き、一部抜粋もさせて頂いています。