「ワールド・ミュージック」のおかげで、中森明菜に目覚めました

中森明菜「セカンド・ラブ」1982年 リプリーズ


薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」1981年 Kitty

 20年ほど前、2000年ちょっとあとの頃、当時住んでいた吉祥寺の五日市街道沿いに、あるレコードショップがありました。
 いつものようにジャズのレコードなどをチェックして外に出ると、店先に山ほど歌謡曲のシングル盤を入れた段ボール箱が並んでいるのに気が付きました。
 見ると「無料でお持ちください」とあります。
 僕は、一度はじっくり聴いてみたいと思っていた中森明菜「スローモーション」「セカンド・ラブ」や薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」「メインテーマ」、渡辺真知子「かもめが翔んだ日」「迷い道」などのシングルを10枚ほど頂いて帰りました。

 僕は小学校のころから音楽を聴くのは好きでしたが、いつの間にか気持ちの中に音楽には高級なものと低級なものがあるというランク付けが出来ていたようで、音楽の聴き方も歌謡曲から始まり、ロック→ジャズ→民族音楽→クラシックと「進化」していくのだと自然に思っていました。
 恥ずかしながら、「音楽ジャンルに貴賤あり」です。
 この仮称「音楽鑑賞にせ発展段階説」がどうやって出来てしまったのか定かではないのですが、一つには西洋クラシック音楽中心に傾いた日本の音楽教育のあり方と、もう一つには、より高級な音楽を聴いている自分は、他よりも優れた人間なのだと思いたいという、競争社会の原則を内面化してしまったところから生まれてきたのではないかと思っています。
 例の、ジャズを聴いている自分はロックやソウルを聴いている人間よりも上等で、モーツァルトやバッハの宗教音楽を聴いている人は自分よりも高尚な人間に見えてしまうという、あれですね。

 僕も加山雄三からスタートして→ビートルズ、ローリング・ストーンズ→ジャズ→インド音楽→モーツァルト→中世宗教音楽と順調に「進化」してきたはずでした。
 だから、1980年代、90年代のアイドル歌謡など、どこかで耳にしてはいても、自分から聴こうとは全く思わなかったのです。
 それが、90年代以降のワールド・ミュージック(注1)の襲来で変わってしまいました。
 音楽を、耳に聴こえてくる「形」としての音楽として聴くこと以上に、ミュージシャンは何を伝えようとしてその音楽をつくったのかという本質的な「願い」をも聴こうとすることの大切さと、そうすることの喜びを体験してしまったのです。
 そのとき、それまで持っていた「音楽ジャンルに貴賤あり」の価値観が崩れました。本当にありがたいことに、どんな音楽も等価に聴けるようになったのです。

 その「ワールド・ミュージック体験」のあと聴いたアイドル歌謡にはまったく驚きました。
 もちろん売れ線を狙った音楽なのでしょうが、だからこそ時代の空気の必然を反映し、その意味も明かしているように思えたのです。
 特に中森明菜の「セカンド・ラブ」(1982年)。
 僕が好きだったテレビ番組『知ってるつもり⁈』の主題曲で平井菜水が歌った「めざめ」や薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」をつくった、来生たかおの作曲です。
 イントロのオーボエの吹奏から切なさが搔き立てられ、駆け上る弦やハープのアルペジオが寄り添い、少女の細やかな感情の揺れを表現する最上の曲調が展開されます。
 そして瑞々しいばかりの素の歌声。
 それだけではなく、「伝えたい~」「なんて~」と母音が伸びるところは驚くほど声の芯の強さが出てきます。

 来生えつこの詞は恋愛のおののきを見事に表現しているのですが、中森明菜はその奥にある、恋愛の歓びはいつまでも続くものではないという哀しい自覚と、その諦念の中に安らぎを見出しているところまで表現しているように思えました。
 なんという深さだろう。だから彼女の歌は、どんな歌を歌っても「祈り」なのです。

 一発で(30年遅れの)ファンになってしまった僕は、その後もYoutube を漁り、細野晴臣作曲のテクノ歌謡「禁区」が見せる不穏さ、時代と対峙する力を持つ井上陽水作曲の「飾りじゃないのよ涙は」でのくらくらするほどの奔放な乗り、「DESIRE」での高音のヴィブラートで日本の芸能の深部にまで下りてゆこうとする勢いなど、その生きるか死ぬかまでの切実な歌を、信じられない気持ちで見てきました。
 同時代のアイドル達もそれぞれ素敵でしたが、中森明菜は歌への覚悟が全く違います。

 今では、日本歌謡の最高峰は誰かと問われたら、10代のころの美空ひばり(注2)と、途中歌わなくなったちあきなおみ(注3)と、そして中森明菜がスリー・トップと言いたいです。
 僕も、後期の成熟した彼女の歌は、これからの探求課題です。
 このような歌手達と出会えたことを心から感謝しつつ、彼女はまた復帰してくれるとか聞きますし、この後どんな深みを見せてくれるのか、本当に楽しみにしているところです。

2024.9.9

(注1)ワールド・ミュージックとは、1980年代後半から世界で注目を浴び始めたアジア・アフリカ・ラテンアメリカ・東欧・ケルト・ロマなど、非西洋圏のポピュラー音楽、大衆音楽の総称で、何よりも特定のジャンル分けによる価値観に縛られない開かれた態度を持ちます。

(注2)演歌を歌うようになって重くなっていった美空ひばりよりも、10代のころ歌った「悲しき口笛」(1949年)、「お祭りマンボ」(1952年)そして外国曲「上海」や「アゲイン」(共に1953年)などで聴かせてくれる乗りの良さは、信じられないほどです。それは、そのまま戦後民主主義の黎明を体現していました。

(注3)美空ひばりが、その歌唱力をほとんど唯一「私に匹敵する」と評価していたちあきなおみは、名曲「喝采」や「矢切の渡し」も素晴らしいですが、ポルトガルのファドやシャンソンを録音していた頃の「それぞれのテーブル」(1981年)の感情の深さには卒倒しました。是非聴いてみてください。