日本が、その使命を果たすために―(1)

1945年6月 沖縄戦
「白旗を持つ少女」(注1)

 今年(2025年)は、戦後80年の節目の年でした。
 この夏も、広島・長崎の原爆の日、8月15日の終戦記念日を中心に、日本の戦争を考える番組や記事を見ることができました。
 1945年に終戦を迎えた第2次世界大戦の悲惨と言った時に、日本では東京大空襲を含むアメリカ軍による本土空襲、特攻隊の悲劇、国内唯一の地上戦となった沖縄戦、戦時下での生活の大変さ、学徒出陣、そして広島・長崎への原爆投下などについて語られることが多いですね。
 一つ一つが辛く悲しい物語ではありますが、それは全体に「被害」ということになります。
 でも、同時に「加害」もありますよね。
 第2次世界大戦で犠牲になった日本人の数は、兵士・一般市民合わせて310万人と言われています。
 が、日本との戦争によって亡くなっていったアジアの国々の人々の数は2800万人以上と言われています。つまり、それは日本軍の軍事行動によって死んでいった人たちです。
 この「加害」を見つめることは、僕らは苦手です。
当然です。
 日本人は、こんなにひどいことをしていたのかという事実に向き合わなければならない。それは辛いです。

第2次世界大戦における主な国の犠牲者数(注2)

 だから、時として、日本はもっと素晴らしい国だったはずだという、情緒的な世界に逃げ込みたくなります。
 「加害」をしっかりと見つめようとすると、かつては「自虐史観」などと言われ、ひどい時には、「日本のひどいところばかり言挙げして、それでも日本人か」とか言われたりしたらしいです。
 でも、日本の未来を考えていくためには、過去を見つめ直さないわけにはいきません。

 明治初頭より、日本は欧米列強の脅威に立ち向かうために国の力をつけ、アジア諸国への侵略を図っていきました。
 日清・日露戦争をへて、1910年には韓国を植民地にし、韓国人の土地を取り上げ、名前を取り上げ(創氏改名)、人々を鉱山などで働かせるために日本に強制連行していきました。

韓国の王宮の宮殿前に建てられた朝鮮総督府

 中国に対しても、1931年に傀儡政権である満州国をつくって、権益を奪い、1937年には宣戦布告せずに中国との全面戦争を始めました。
 「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす」という三光作戦を展開し、南京虐殺や細菌部隊「731部隊」では人体実験まで行っていたようです。
 侵攻していった東南アジアでも、マレーシア・シンガポールなどでは中国系住民への虐殺が行われました。フィリピンでも「バターン死の行進」と呼ばれる事件を引き起こします。

 いやー、並べると確かにきついですね。
 でも、日本人はこれだけひどいことをしてきたと列記することが目的ではないんです。
 繰り返しになりますが、世界における今の日本の状況を見た時に、この歴史的事実を確認することから始めることがとても大切なように思えるのです。

 戦争が終わったあと、当事国は講和条約を結びます。
 戦争を起こした責任者を明らかにし、処罰します。一般市民の殺害などの戦争犯罪についても調査をします。
 賠償金を支払い、平和的な国と国の関係が結べるよう、スタートを切ります。
 もちろん、戦争を始めた側にとっては、厳しい条件のものとなるでしょう。

 戦争後、日本政府は多くの世論の反対を押し切って、戦争後半の相手国アメリカとだけ講和条約を結びました。それはアメリカの強い思惑があったからです。
 第2次世界大戦後の世界は、アメリカを中心とする資本主義国と、ソ連を中心とする社会主義国とに分かれ、特に朝鮮戦争(1950~1953)から厳しく対立しました。
 この時、アメリカは、日本を2度と戦争をしない平和国家にすることから転換して、「東アジアにおける、社会主義に対する防波堤」にしようと考え直したのです。

 この1951年のサンフランシスコ平和条約によって、日本は主権を回復し、独立しましたが、沖縄・奄美・小笠原諸島は引き続きアメリカの支配下に置かれ、同時に締結された日米安全保障条約によって、アメリカ軍が引き続き日本に駐留し、日本国内の軍事基地が自由に使用できるようになってしまいました。
 ここから、日本の外交のアメリカ一辺倒が始まっていく訳ですね。
 では、アジアの国々に対しては、どうなっていくのでしょう。(続く)

2025.9.25

(注1)1945年6月25日に米陸軍戦闘カメラマンのジョン・ヘンドリクソンにより撮影された比嘉(当時は松川)富子

(注2)「朝日新聞」1995年1月1日 犠牲者の数にはまだ不確実なものもあります。データの期間は、中国1937~45年、中国を除くアジア諸国は1941~45年、アジア地域以外の国は1939~45年。