彼が、1971年に発表した「ホワッツ・ゴーイン・オン」という曲があります。
冒頭、黒人のストリートのざわめきの中から、
Hey brother, what’s happening?
Right on! Right on,brother.
という声が聴こえてきます。
その雰囲気、何てかっこいいんだろう。
仲間同士で声をかけあう時は、Brother ブラザーって呼ぶんだ。
What’s happening? やWhat’s going on? は、「どうだい、調子は?」みたいな意味らしい。
Hello とかHou are you? なんて言わないらしいよ。
Right on! は「いいぞ!」みたいな感じかな。
それからは、黒人音楽好きの友人と顔を合わせたときの挨拶は、
Hey brother, what’s going on?
になりました。
そして曲は、ラテン打楽器がつくり出す心地よいうねりの上に、マーヴィンの感受性豊かなファルセットが乗っていきます。
そのヴォーカルの多重録音がもたらす神秘的な響き、それまでのソウル・ミュージックとは全く違う複雑なパーカッション群がもたらす陰影豊かなブラックネス、ジャズっぽい浮遊感、そして曲に甘さではなく、緊張感をもたらすストリングスの絡み。
歌詞は、まず母親たち、そしてブラザー、父親たちに語りかけていきます。
「マザー、マザー
この世界にはあなたが泣く事が多すぎる
ブラザー、ブラザー
この世界にはあなた達の死があまりにも多すぎる
今ここに、愛をもたらす道を探さなければ
ファザー、ファザー
憎しみをエスカレートすべきじゃない
戦争が答えじゃない
ただ愛だけが憎しみを征服することが出来るんだ
マザー、マザー
誰もが僕らが間違っていると思っている
でも僕らの髪が長いだけで 僕らを裁こうとする彼らは一体誰なんだ
分かり合おうとする道を探さなければ
僕を暴力で傷つけようとするのでなく
僕に話に来てほしい
そうすれば 何が起こっているのか見えてくる 」
1960年代のアメリカ黒人音楽は「リズム&ブルース(R&B)」、のち「ソウル・ミュージック」と呼ばれ、甘いラヴ・ソングが中心でした(それも素晴らしく魅力的ですが)。
が、1968年の公民権運動を推進したキング牧師とロバート・ケネディ上院議員の暗殺、それに怒りを露わにして顕著になった「ブラック・パンサー党」らによる急進的な黒人民族主義と、それに対する公権力による市街戦をも辞さないほどの徹底的な弾圧。
更にはベトナム戦争の泥沼化という時代の流れの中で、アメリカ全体が、「アメリカは果たして正しい道を歩んでいたのか」と振り返らざるを得なくなっていきました。
そんな折の1971年、ベトナムから帰還していた弟フランキーの戦場での悲惨な話を聴き、マーヴィンはセルフ・プロデュースによるトータルアルバムを作り上げます。それが『ホワッツ・ゴーイン・オン』です。
全編を通して、公民権運動で流れた血、混迷を極めるベトナム戦争、環境を破壊し続ける人間、スラムの貧しさからくる暴力や家庭の崩壊、それらの姿を伝えたいという真摯さが伝わってきます。
あまりに斬新な音楽性、反体制的な内容にレコード会社モータウン側は発表を渋ります。が、実際はタイトル曲と「マーシー・マーシー・ミー」、そして「インナー・シティ・ブルース」の3曲が大ヒット、60年代までの黒人ソウル・ミュージックの概念を覆すとともに、70年代に続く「ニュー・ソウル」の幕開けとなり、稀代の名盤と呼ばれるようになりました。
レコード・コレクターズ誌2008年3月号「ソウル・ファンク・アルバム」ランキング第1位。アメリカ・ローリング・ストーン誌が選ぶ「オールタイム・ベストアルバム」第1位。(注1)
その半月前にオークランドの丘の上にある語学学校に留学、友人たちと週末にKOOL JAZZ FESTIVAL に出かけて行きました。出演者はマーヴィンの他にはテンプテーションズ、ナンシー・ウィルソン、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、ドナルド・バード&ブラックバーズ、ハンプトン・ホーズ。
JAZZと言いながら、傾向はソウル~ファンク。マーヴィンは「ホワッツ・ゴーイン・オン」Whats going on?を確かに歌った記憶があります。夜になって寒かったな~。
マーヴィン・ゲイは1939年ワシントンDC生まれ。
父親はキリスト教ペンテコスタ派の牧師でしたが、しつけの範疇を越えた精神的虐待をマーヴィンは受け続けていたというからきつい。
ドウワップのグループを経て、デトロイトのモータウン・レーベルからデビューしたのが1961年。
マーヴィンの甘く優しい声と、タミーの情熱を秘めたキュートさとは、最高の組み合わせでした。ぼくも中3の時に、厳しい小遣いの中から、2人のベスト・アルバムを買いました。
ところが、1967年10月のライヴの最中、タミーは脳腫瘍の発作でマーヴィンの腕の中に倒れこみます。そして、1970年25歳になる直前で死去。
タミーの死のショックからマーヴィンは立ち直れませんでした。銃をもって自室にこもり、彼女に何もしてあげられなかったという罪悪感が彼を苛み、対人恐怖・薬物依存となっていきます。
死の崖っぷちまで行ったという絶望の1年間をへて、ベトナムから帰還した弟から悲惨な戦場の様子を聴き、この泥沼のような世界の実情と、その先に見えるはずの希望を歌おうと立ち上がり、「ホワッツ・ゴーイン・オン」What’s going on? を録音、アルバム制作に取り組んでいきます。
70年代初頭、行き詰まりを見せていた物質文明から離れ、新たな精神文明をつくっていこうとしたアメリカの若者たちにとって、バイブルとなっていた本が3冊ありました。
それは、以前にも触れた元ハーバード大学心理学教授リチャード・アルパートだったババ・ラムダス(インド名)のヴィジュアル精神世界探求本『Be here now』、スチュアート・ブランドが編集した『ホール・アース・カタログ』、そしてカスタネダによる『呪術師ドンファン』シリーズ。
1968年から出版され始めた同シリーズは、現代西洋社会の価値観にどっぷりつかっていた人類学者カスタネダが、メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスに弟子入りし、幻覚作用を持つ聖なるキノコ、ペヨーテによって呪術師の世界を体験していく物語。
西洋の科学的・合理的価値観しか持たないアメリカ人に「非日常的意識」の存在を実感させ、自然・宇宙と共存する世界観の新しい地平を開いた画期的な書でした。日本版も出て、ぼくも夢中になって読みました。
このシリーズがマーヴィンに新しいインスピレーションを与えたであろうことは想像に難くありません。ただの売れっ子歌手からここまでたどり着けたのなら、タミーの死も無駄ではなかったかもしれません。
1984年4月1日、マーヴィンは自宅で両親の喧嘩を仲裁した際に父と口論になり、激高した父親に拳銃で至近距離から撃たれ、死亡します。享年44歳。
この奇跡のような最高の大衆音楽をぜひ聴いてみてください。
さらに、You tubeで見ることが出来る2019年版の新たな「ホワッツ・ゴーイン・オン」のOfficial videoも、紛争にとどまらず、人々のいのちを貶める世界の不正の姿を静かに訴え、聴き手の胸を打ってやみません。
https://www.youtube.com/watch?v=o5TmORitlKk
2024.12.30