2024年5月20日第77回カンヌ国際映画祭のレッド・カーペットにケイト・ブランシェットが登場しました。
着ているのはフランスのデザイナーによるオフ・ショルダーのドレスで黒を基調としたシンプルなもの。
ところが右の後ろはピンクがかかった白、ちらと裾を持ち上げて見せてくれた裏地は緑になっていました。
レッド・カーペットの赤と合わさると、見事にパレスチナ国旗の色となりました。(注1)
着ているのはフランスのデザイナーによるオフ・ショルダーのドレスで黒を基調としたシンプルなもの。
ところが右の後ろはピンクがかかった白、ちらと裾を持ち上げて見せてくれた裏地は緑になっていました。
レッド・カーペットの赤と合わさると、見事にパレスチナ国旗の色となりました。(注1)
ケイト・ブランシェット(1969~)はオーストラリア出身の女優。
1998年公開の映画『エリザベス』でゴールデングローブ主演女優賞を受賞、アカデミー主演女優賞にもノミネートされ、一躍トップ・スターとなります。大女優キャサリン・ヘップバーンを演じた2004年の『アビエイター』でアカデミー助演女優賞を受賞、2013年のウディ・アレン監督の映画『ブルー・ジャスミン』ではゴールデングローブ賞とアカデミー賞の両方で主演女優賞を獲得した名女優です。
僕は熱心なファンではありませんでしたが、2018年の『オーシャンズ8』のクールな女泥棒ぶりには見とれてしまっていました。 カンヌ映画祭に先立つ第96回アカデミー賞授賞式(3月10日)では、レッド・カーペットを歩いた歌手ビリー・アイリッシュら多くのアーティストたちが Artist 4 Ceasefire という団体に属し、ガザでの停戦を訴えるバッチを着用しました。この団体は俳優、ミュージシャン、映画製作者など380人超からなり、そこにはジェニファー・ロペス、ジェシカ・チャスティン(これまた名女優)、ケイト・ブランシェットらが名を連ねています。
カンヌでは、アカデミー賞授賞式でのような示威行動はしないようにという通達があって、それに対抗してのケイト・ブランシェットのアピールだったようです。
1998年公開の映画『エリザベス』でゴールデングローブ主演女優賞を受賞、アカデミー主演女優賞にもノミネートされ、一躍トップ・スターとなります。大女優キャサリン・ヘップバーンを演じた2004年の『アビエイター』でアカデミー助演女優賞を受賞、2013年のウディ・アレン監督の映画『ブルー・ジャスミン』ではゴールデングローブ賞とアカデミー賞の両方で主演女優賞を獲得した名女優です。
僕は熱心なファンではありませんでしたが、2018年の『オーシャンズ8』のクールな女泥棒ぶりには見とれてしまっていました。 カンヌ映画祭に先立つ第96回アカデミー賞授賞式(3月10日)では、レッド・カーペットを歩いた歌手ビリー・アイリッシュら多くのアーティストたちが Artist 4 Ceasefire という団体に属し、ガザでの停戦を訴えるバッチを着用しました。この団体は俳優、ミュージシャン、映画製作者など380人超からなり、そこにはジェニファー・ロペス、ジェシカ・チャスティン(これまた名女優)、ケイト・ブランシェットらが名を連ねています。
カンヌでは、アカデミー賞授賞式でのような示威行動はしないようにという通達があって、それに対抗してのケイト・ブランシェットのアピールだったようです。
以前ある中古CD店で、『アカデミー賞グレイテスト モメント』というVHSビデオ・テープを購入しました。
1971年(第43回)から1991年(第63回)のアカデミー授賞式から、涙の感動シーンや爆笑のNGシーンなど、名場面が109分収められています。
ここで初めて僕は、1972年の伝説のマーロン・ブランド受賞拒否のシーンを見ました。(注2)
名作『ゴッドファーザー』で主演男優賞に選ばれたとき、受賞の檀上に上ったのはブランドではなく、アパッチ・インディアンの若い女性でした。
彼女は、自分はマーロン・ブランドの代理人であること、アメリカ・インディアン人権保護委員会代表であることを告げ、ブランドが受賞を拒否すること、理由は映画界におけるインディアンの不当な扱いにあることを毅然とした態度で述べました。
ハリウッドが制作する西部劇ではインディアンは常に未開の悪者で、一人の人格ある人間として描かれることは稀でした。
1970年制作の映画『小さな巨人』と『ソルジャー・ブルー』が、インディアンのあり方を珍しく共感をもって、インディアンの側から描いたものとして話題になったのを覚えています。(注3)
1971年(第43回)から1991年(第63回)のアカデミー授賞式から、涙の感動シーンや爆笑のNGシーンなど、名場面が109分収められています。
ここで初めて僕は、1972年の伝説のマーロン・ブランド受賞拒否のシーンを見ました。(注2)
名作『ゴッドファーザー』で主演男優賞に選ばれたとき、受賞の檀上に上ったのはブランドではなく、アパッチ・インディアンの若い女性でした。
彼女は、自分はマーロン・ブランドの代理人であること、アメリカ・インディアン人権保護委員会代表であることを告げ、ブランドが受賞を拒否すること、理由は映画界におけるインディアンの不当な扱いにあることを毅然とした態度で述べました。
ハリウッドが制作する西部劇ではインディアンは常に未開の悪者で、一人の人格ある人間として描かれることは稀でした。
1970年制作の映画『小さな巨人』と『ソルジャー・ブルー』が、インディアンのあり方を珍しく共感をもって、インディアンの側から描いたものとして話題になったのを覚えています。(注3)
素晴らしい英国女優ヴァネッサ・レッドグレイヴとジェーン・フォンダが共演した1977年の『ジュリア』は僕もリアルタイムで見ました。
当時すでにヴァネッサはパレスチナを支援し、ドキュメンタリー映画も制作するほどでした。彼女がアカデミー賞にノミネートされていると聞いた過激な「ユダヤ防衛同盟」は、彼女を形どった人形を焼き、授賞式会場にピケを張るなど、圧力を加えていました。
助演女優賞を受賞した彼女は圧力にも負けなかったアカデミーに謝辞を述べ、「このような闘い、ファシズムとの闘いを続けます」と結びました。その凛としたカッコよさと言ったら。 他にもこのビデオは、1987年にプレゼンターとして登場した黒人コメディアン、エディ・マーフィーの黒人差別に対するユーモアたっぷりの訴えとか、ハリウッドの赤狩りによって追放されて以来、20年ぶりに招かれたチャールズ・チャップリンのスピーチなど、見所が一杯です。
当時すでにヴァネッサはパレスチナを支援し、ドキュメンタリー映画も制作するほどでした。彼女がアカデミー賞にノミネートされていると聞いた過激な「ユダヤ防衛同盟」は、彼女を形どった人形を焼き、授賞式会場にピケを張るなど、圧力を加えていました。
助演女優賞を受賞した彼女は圧力にも負けなかったアカデミーに謝辞を述べ、「このような闘い、ファシズムとの闘いを続けます」と結びました。その凛としたカッコよさと言ったら。 他にもこのビデオは、1987年にプレゼンターとして登場した黒人コメディアン、エディ・マーフィーの黒人差別に対するユーモアたっぷりの訴えとか、ハリウッドの赤狩りによって追放されて以来、20年ぶりに招かれたチャールズ・チャップリンのスピーチなど、見所が一杯です。
ひるがえって、日本ではどうでしょうか。
芸能人、俳優やアーティストたちが政治に関わる発言をすると、「生意気だ」「芸能人は、自分の芸のことだけ考えていればいい」というような批判が湧きあがります。
一般の私たちも、政治に関わる発言は敵をつくるかも知れないと自粛しがちです。
しかし、先述の彼女たちが願っていたことは何だったのでしょう。
「1人の人はどこまでもかけがえがない」
「だから、そのかけがえのなさが踏みにじられていたら、政治の力によって取り戻してあげなければならない」
そう考えているように思うのです。
ケイト・ブランシェットは、女性・子どもも含む一般の人たちへの無差別虐殺を止めるために。
マーロン・ブランドは、大地と共に生きる豊かな智慧を持ちながら、白人によって無慈悲に踏みにじられているインディアンたちの誇りと権利のために。
そしてヴァネッサ・レッドグレイヴは、生まれ育った土地を追われ、難民として人間らしい生き方も許されなくなっている人々を支えるために、行動していきました。
それは「自分」と「他人」を分け、当たり前のように「自分さえ良ければいい」が生きる原則になっている今の世界の中で、奇跡のように美しい輝きを放っています。
私たちも、誰1人見捨てられ、踏みにじられたままでいる人のないように、自分の中にある恐怖心と闘いながら、出来ることをしていきたいものです。
2024.8.8
(注1)VOGUE JAPAN (2024.5.23)の記事を参照させていただきました。ケイト・ブランシェットのレッド・カーペット上の姿も見ることができます。
https://www.vogue.co.jp/article/cate-blanchett-dress-palestine-cannes-77th
(注2)この場面はYou tube でも見ることができます。この日本語訳で「負傷した膝」と言っているのはインディアンの聖地であるサウス・ダコタ州「ウーンテッド・ニー」のことです。1972年当時、この地を占拠していたインディアンに対して合衆国軍隊が熾烈な攻撃を加えていました。
https://www.vogue.co.jp/article/cate-blanchett-dress-palestine-cannes-77th
(注2)この場面はYou tube でも見ることができます。この日本語訳で「負傷した膝」と言っているのはインディアンの聖地であるサウス・ダコタ州「ウーンテッド・ニー」のことです。1972年当時、この地を占拠していたインディアンに対して合衆国軍隊が熾烈な攻撃を加えていました。
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